今更って感じだけど、去年の大晦日の笑ってはいけないの黒塗りメイク問題について
多くの人が黒人差別の象徴として引き合いに出している「ミンストレルショー」なんだが、これって一体どれだけの日本人が知っているのだろうか。
なんか、こうやって他国の悲しい歴史を持ち出してきて他国の表現を規制しようとする動きは際限がなくなってしまう気がするのだ。
例えば日本ではテブいじりやハゲいじりは、度を過ぎなければ許容される風潮があるように思うが、例えばそれらを見たどこかの国の人が、「私の国では長い間ハゲ差別があった。それを彷彿とさせるからハゲいじりはやめてくれ。」と言ってきたらどうだろう。
どこかの国では猫舌に関する悲しい歴史があるかもしれない。
なんだったらフサフサ差別がある国もあるかもしれない。
極論なのは分かっているが、僕が言いたいのはつまりどんなに配慮したって誰かしらは不快に思うわけだし、線引きはどうするの?ってこと。
漫才だってボケの人は謂わば頭の悪い人を演じているわけで、知的能力の低い人を揶揄していると捉える人も居るだろう
そういったものまでをも禁止するとなると世の中から笑いというものは消えてしまうと言っても過言ではないのではないかと僕は思っている。
あと、他国ではこうだから日本もそれに合わせようとか、そっちのが国際基準だよって盲信するのはなんか怖いなあとは思う。
例えば中東などイスラム教の影響が強い国では女性と男性で持てる権利に違いがある国が少なくないんじゃなかろうか(あまり詳しいことは知らないので偉そうには言えないが)。
そういった国々からすれば露出の多い女性の存在自体があり得ないだろうし、じゃあそういった国々から指摘を受けたら露出の多い女性をテレビに出しちゃいけないのかってなってしまう。
なんかそっちの方が今の日本では差別的と感じないか?
逆にアフリカやアマゾンなんかでは女性が胸を隠すのは非常識なこととされている民族もあるかもしれない。
どこかの基準に合わせたら恐らく他のどこかの基準からは外れてしまう。
国際基準なんていう絶対的な基準なんて無いのだろう。
そして多くの場合、国際基準として挙げられる基準というのは一部の欧米の先進国の基準で、しかも欧米も全てが全て考え方が一致しているわけでは無いということを踏まえておいた方がいいと思う。
アメリカでは椅子に座って人と話す際、足を組むのがマナーが良いとされる(足を組むということは私は立ち上がりません、つまりこのままずっとあなたの話を聞きますよというサインでもあると聞いたことがある。)そうだが、日本ではむしろ逆のような気がする。
そしてアメリカのニュースなんかでその光景を見たことがある人は少なくないと思うが、それをいちいちCNNに苦情を入れる人なんて聞いたことないし、入れたところでその人は文化の違いを受け入れられない人だと冷笑されるのがオチだと思う。
そしてもちろん笑いというのもその国その国で形が違うものなのだ。
だから、多分この問題に解決策はない。
そして一つ思うのは、表現の規制に心血を注ぐことで深刻な差別ってなくなるの?ってこと。
とはいえ僕も表現規制に全く反対かというとそういうわけではなく、おおっぴらに何でもかんでもネタにしていくとそれはそれで望まれないイジリ、強いてはイジメが生まれる可能性もあるし、実際僕にとっても笑えない(結果的に面白くないというわけでなく、負の意識が透けて見える)ものもあるので表現というものはある程度のルールは要るのかなとは思っている。
結局、一人一人で考えましょうね〜としか言えないよねって話。
じゃあ最後に僕なりの要点をまとめると、
・必ずしも他国の文化に合わせることが正しいとは限らないのではということ
・統一した基準というものは無いのではなかろうかということ
・表現の規制で差別がなくなるのかということ
・具体的にどこら辺までルールがあるといいのかということ
といったところだろうか。
漠然としてるし、思っていたより実際に書いてみると書きたいこと書けていないなと思う。
うーん、頭の中でキリンを完璧にイメージ出来ているつもりだが、実際に描くとなると上手く描けないように、頭の中でちゃんとこの問題に対してうまい感じでの意見を持っているつもりでもちゃんと文字に出来ないということは漠然としか考えれていないということなのかな。